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モクジ

●  --- 武器 ●

これが、エクリクシス。

無造作に棚に置かれている剣を、ウェインはそれこそ、柄から剣先まで、食い入るように見つめた。
ライトニア城の前でゼノンと対峙したとき、その禍々しさに圧倒されそうだったのが、嘘のようだった。今、こうして見てみると、形状は少し変わっているが、普通の剣である。これが、人を惑わし、破滅に追いやる魔剣だとは到底思えない。いや、思えないからこそ、危険なのか。
「今は、普通の剣ですよ」
不意に聞こえた声に、ぎょっとしてウェインは振り返った。夜陰に紛れて小柄な影がある。
「今、その剣は力を失っていますが、トラッドノアに帰ったら、その剣は真っ先に封印しますから」
少し、張りのない声。それもその筈で、レイナートの表情は精彩に欠け、どこか陰鬱な印象すら覚える。
「大丈夫なのか、起きあがっても。トラッドノアの武将が、ものすごく怒っていたが」
レイナートは、狂ったゼノンが茫然自失に陥った一瞬の隙をついて、エクリクシスの力を奪った。その結果、ゼノンはエクリクシスの魔力から解放されたのだが、瀕死のユリシスを見て自らも命を絶とうとするわ、それを取り押さえようとしたウェインと再び戦おうとするわ、場は混乱するばかり。ニーナの治癒魔法によって、ユリシスが一命を取り留めたことをゼノンが納得したのはいいが、魔剣に蝕まれていたゼノンも、その辺りで精神の限界を迎え、昏倒。今度はベルターナがうろたえる始末。仕方がないのでゼノンを止めるためにライトニア城に来ていた一行は、ゼノン達が落ち着くまで、そのままライトニア城で留まることにしたのだ。
そして、城の主がベッドの上で人事不省に陥っているとき、ライトニア一帯を混乱から立ち直らせるべく采配を振るっていたのは、レイナートである。だが、それは相当に無理をしてのことだった。
なぜなら、魔剣エクリクシスの魔力を根こそぎ奪った、というのは、長い時間を掛けてゼノンを蝕んでいった負の魔力を、一気にその身の内に抱え込んだに他ならない。普通の魔導士だったら発狂するか、魔力に耐えきれず絶命していた、とはレイナートに同行していた魔導士の言葉だ。
実は、ウェインがレイナートが死人のような顔色をして命令を出していたことに気が付いたのは、その魔導士が、とうとう堪えきれなくなったように、レイナートに対しそのことを怒鳴り散らしていた時だったのだから、情け無いことである。いや、それまで、平然と振る舞っていたレイナートの精神力が常人離れしているのか。
だが、いくら常人離れしていようとも、限界はある。レイナートも、しぶしぶ自分の部下のいうように休みを取ったのだが、ウェインが後からレイナートのようすを聞くと、死人のように眠っている、との返答が返ってきた。実際、レイナートの顔色は、良いとはとてもいえない状態で、休息を取る前よりも幾分まし、程度のものだ。
よくよくレイナートの顔色を観察して、これは危なかったな、とウェインも思った。レイナートの部下が無理にでも休ませたかったのがよく分る。
「メノルカですね。すみません、彼はウェインさんにも何か失礼なことを言いませんでしたか?
普段は、余計なことは喋らないで余計な歌ばかり唄っているのに、一旦頭に血が上ると歯止めがきかなくて」
「いや、大丈夫だ」
とは言ったが、実はレイナートが爆睡した後、激昂したメノルカに散々辛辣な言葉を浴びせられた。だが、メノルカの、洞察力がない、配慮が足りない、全体を見通せてない等々の言葉は、そのどれもが事実ばかりで、むしろ畏まるばかりだったのである。無礼云々よりも、こうなるとむしろ自分が不甲斐ない。
レイナートは探るようにウェインを見つめたが、やがて小さなため息を吐いた。
「たぶん、メノルカ本人が後悔のどん底にいるので、もし謝りに来たら、受け入れてもらえませんか。ウェインさんが謙虚で素直に言葉を受け止めてくれるのは将来を考えれば頼もしい限りですけど、謝罪を受け入れてもらえなければ、彼は途方に暮れて、思い悩むから。頑固なくせに、意外と繊細なんです」
ウェインは驚いて、あまり顔色の良くないレイナートを見つめた。体は本調子ではないが、その頭の回転の良さと、洞察力はいつもの状態まで回復したらしい。おそらく、メノルカとウェインの様子から、自分の知らない間に何が起っていたか、大体見当を付けたのだろう。
「何でもお見通しか。参ったな」
「ボクに説教しながら、珍しく沈鬱な表情をしていたので。それに、歌も唄っていなかったようでしたから」
「歌?」
レイナートはなにやら複雑な笑みを浮かべた。
「彼は、ボクに怒るだけなら、普通に激怒するだけです。そして、自分の力が足りなかったとか、そういう落ち込み方の場合は、後で根暗な歌を延々と唄いながら反省する。周りはものすごく迷惑がっていますが、落ち込んでいるのが分っているので、止めるに止められず」
トラッドノア城が通夜のようになるのだ、とレイナートは笑った。
「そのどれにも当てはまらなかったので、メノルカが落ち込んでいるのは、ボクのこと以外で何かあったんだとすぐに分ったんです。そうなると、あとの選択肢は限られてきますしね」
「なるほど」
面白い主従関係である。普段は、レイナートの方が完全に主導権を握っているのに、時折部下の方が上位に立つ。部下がレイナートの補佐を甲斐甲斐しくしているのかと思えば、レイナートの方が部下の補佐をしているようでもある。常に一定の関係のようでありながら、時折逆転する辺りが、トラッドノアの面々が一癖も二癖もあるように感じる一因だろう。だが、それがなぜか好ましい。
ウェインは微笑を浮かべた。
「分ったよ」
「ありがとうございます」
レイナートが頭を下げる。
そして、再び頭を上げると、ふと、視線を逸らした。
「エクリクシスが気になるようでしたら、どこかに仕舞っておきましょうか」
エクリクシスはレイナートが仮の執務室として使っていた部屋の棚に、無造作に置かれている。魔剣のわりに、かなりぞんざいな扱いである。
「危険性はないんだろう?」
「ええ。魔剣の魔剣たる所以は、その魔力ですからね。エクリクシスは魔力がなくなり、魔剣でなくなってる。魔剣として復活するには、かなりの時間をかけて、人の負の魔力をその内側にため込まないと」
何気なく言った言葉だったのだろうが、ウェインはレイナートの説明に、気になるところを見つけた。
「人の、負の魔力?」
おや、とレイナートは目を見張った。
「ウェインさん、もしかして、魔剣がどうやって生まれるか、知りませんでした?」
ウェインは素直に頷く。
そもそも、ハイランドは魔導的な事とは縁が薄い土地だ。農耕が盛んで、気候も安定していることから、国家の財政が逼迫することもなく、よく言えば安定した、悪く言えば安穏とした平和が続いていた国。常に、今の状態を人々は保とうとしている。だから、自分たちの穏やかな生活を脅かすような、不可解で得体の知れない物事に、自ら手を出す人間などほとんどいない。
覇気に欠ける、発展性のない、と言われればそれまでだが、そういう生き方もあるのである。
ウェインのような君主は、長いハイランドの歴史から見れば、むしろ異端だろう。
「魔剣が生まれるのは二通り。
一つ目は、最初から魔剣として作られた物。最初から魔力を込められている剣ですね。これは、今回ボクが使ったような、魔力を奪うようなやり方をすると、魔剣の存在と魔力は密接に関わり合っているので、まず間違いなく、消滅します。
二つ目は、最初は魔剣として作られたわけではないが、後から魔剣になってしまったもの。これは、理由はさまざまですが、共通していえることは、何らかの方法と原因によって、負の魔力を取り込んでしまい、その魔力によって周囲に影響を及ぼすようになったものですね。エクリクシスは後者です。
そして、負の魔力、というのは、大概人間が無意識のうちに放出したものが大部分なんですよ」
剣は人が持つものですからね、とレイナートは付け加えた。
「負の魔力……」
ウェインは、ぼんやりとレイナートの言葉を繰り返す。嫌な響きを持つ言葉だ。
「何事も、良いことだけではない、ということでしょうね。この剣も、」
レイナートは無造作にエクリクシスを掴んで、剣を鞘から抜いた。驚くウェインを無視して、言葉を続ける。
「剣という形でなかったら、もっと別なものになっていたかもしれないのに」
レイナートはいつもの口調だったが、幾ばくかの憂いと、悲しみが含まれているようだった。まるで、長年使い込んで愛着の湧いた剣を労るように、エクリクシスの柄本に嵌った宝石をゆっくりと撫でる。
「触って大丈夫なのか」
「言ったでしょう、今は、普通の剣だって。切れ味は抜群でしょうけど、人に害を及ぼすものではなくなっていますよ」
レイナートはエクリクシスをウェインに差し出した。僅かに躊躇いながら、ウェインは剣を手に取る。ずしりと重い感触。だが、驚くほどエクリクシスは手に馴染んだ。奇異な形状の割りに、重心もしっかりしている。刀身はゼノンが伏せっているので手入れされていないのだが、見事なまでの光を放っていた。
業物だ、とすぐに分った。すぐに分って、この剣を手にしたら、腕に覚えのある人間ならば、振るわずにはいられなくだろうことも分ってしまって、ウェインは剣士である自分の性分に嫌気が差した。ウェイン自身が、一瞬、エクリクシスを振るってみたいと思ったからだ。レイナートは害がない、といったが、やはりこれは魔剣だ。
人を殺すための武器だ。
血塗られた武器なのだ。

「ウェインさん、それは、ただの武器ですよ。武器としては少し、優れすぎていますけど」

感じられた温もりにはっとなって、ウェインは剣を持つ自らの手に視線を落した。見れば、レイナートが剣を持つウェインの手に重なるようにして、エクリクシスを握っている。
背筋にどっと嫌な汗が噴き出す。――危なかった。
レイナートはするりと、ウェインの手からエクリクシスを取り上げる。あまりに自然な動作だったので、ウェインは自分の手からエクリクシスが無くなったことに、しばらく気が付かなかったほどだ。
「それは、本当にただの剣なのか?」
「ええ。ただの剣です」
レイナートは苦笑しながら、エクリクシスを再び鞘に戻す。
「でも、やっぱりどこかに仕舞っておいた方がいいですね」
「……そうしてくれ」
ウェインは、レイナートの持つエクリクシスに視線を落しながら、絞り出すようにそう言った。エクリクシスを実際手に取った今、そうとしか、言えない。
「そうですね。これだけ、見事な剣だと、どうしても使いたくなりますから」
レイナートの言葉に、ウェインは硬直する。
冷水を浴びせられたようだった。まさに、先程のウェインは、レイナートの言う、そのままの状態だったからだ。危うく、側に寄ったレイナートに剣を振るいそうになっていた。
「そこが、エクリクシスの不幸なところですけど」
「エクリクシスの、不幸?」
「ええ。何度も言いますが、これは、今、普通の剣です。ただ、呆れるほどの名剣なので、腕に覚えのある人間が取ったら、どうしても使いたくなる。それが『使われるべき時』に振るわれるなら、問題ないと思いますけど、大概は『剣を使うため』に振るうことになる。それがどういうときか、簡単に予想できるでしょう?」
ウェインは頷いた。それは、意味のない殺戮が行われる時だ。
「そういうときに、生み出される感情が、そして、放出される魔力が良いものの筈がない。結局エクリクシスが溜め込むことになる魔力は、負のものばかり。負の魔力をエクリクシスは溜め込み、今度は自ら魔剣として、さらに負の魔力を得るために周囲の人間に悪影響を及ぼす、という図式が、延々繰り返されてきたんです」
「なら、今は周囲に影響を与えないとはいえ、エクリクシスはやっぱり魔剣じゃないのか」
手に取った者が、思わずその切れ味を試したくなる剣など、魔剣以外の何者でもないだろう。嫌悪も露わに、ウェインはエクリクシスを睨み付けた。だが、そこで気が付く。レイナートはエクリクシスに対して、むしろ哀れみのこもった眼差しを向けていたのだ。
「ウェインさん、エクリクシスは聖剣になる可能性もあるといったら、信じられますか?」
突拍子もないことをいう、というのが正直なところだ。だが、レイナートは可能性のないことを、口に出す人間ではない。
逡巡するウェインに構わず、レイナートは続けた。
「エクリクシスは、周囲の魔力を取り込んで、自らの力を増幅する。『それだけ』がエクリクシスの能力はなんです。
エクリクシスが剣という形をし、そして、その剣があまりに出来すぎた物であるために、負の魔力が集まりやすい状況下に置かれ、魔剣となりました。ですが、エクリクシスが正の魔力を溜め込むことができたなら、それは、聖剣と呼べる物になっていたかもしれません」
残念ながら、そうなった過去はないようですが、とレイナートは呟いた。
ウェインはようやく、エクリクシスに対し、自分が持っているような悪感情を、なぜレイナートは持っていないのか、気が付いた。
魔剣でありながら、元は聖剣になる可能性も秘めていたのだとしたら、それはあまりにも哀れだ。この剣は、人を操り殺戮へと導く剣ではなく、人によって魔剣となってしまった剣だ。
「実を言うと、ゼノンさんはむしろ、この剣には良い影響を与えていたんです。もし、マドルクが復活しようとしていなければ、エクリクシスはここまで暴走しなかったでしょうね」
小さな溜息と供に、レイナートはエクリクシスを棚に置いた。
「もしかして、だからエクリクシスを放置していたのか?」
「ええ。ライトニアのゼノンが奇妙な形の剣を持っている、と聞いたので、古書を調べました。でも、過去の記録と比べると、エクリクシスによって起るはずの殺戮がない。おかしいと思って、実は、一人でこっそりここに調べに来たことが」
ウェインは唖然とした。トラッドノアからライトニアまで、それほど距離があるわけではないが、それでも国境を越えるのだ。一国の君主が護衛もなしに、一人で潜入など。考えられない。
「ゼノンさんに会って――とはいえ、ゼノンさんはボクのことを全然覚えていないみたいですけど、とにかくエクリクシスの持ち主を確かめて、合点がいきました。ゼノンさんは、その強靱な精神力でエクリクシスの影響をはね除け、正の魔力をエクリクシスに蓄積させられる人間です。だから、ゼノンさんがエクリクシスを所持しているのなら、その方がいいのかもしれない、と考えたんです」
と、途端にレイナートの顔が曇る。
「でも、今回のことは本当に誤算でした。マドルク復活の影響が、ここまでだなんて」
声音は苦渋に満ちていた。
そうか、とウェインは今回のレイナートの行動を理解した。
レイナートは、ゼノンを救いたかったのだ。
だから、レイナートはライトニアに向かったウェインに急遽合流して、ゼノンと対峙した。ウェインとゼノンがただ戦っただけでは、どちらかが命を落す。そして、エクリクシスは残る。そうならないために、エクリクシスを無謀とも思える方法で、無力化した。
そして、疲労極まった体を押してまで、ライトニアの混乱を治めるために采配を振るったのだ。
それは、エクリクシスの事を知っていながら、そのまま静観していたという、後悔から。レイナートがエクリクシスに気が付いた時点で、ゼノンからエクリクシスを取り上げ、封印していれば、今回のことは起らなった。
ウェインは、慰めの言葉を色々考えたが、結局、何も言えなかった。レイナートに下手な慰めの言葉を掛けても、逆にこちらが諭されるか、慰められてしまうのが目に見えている。
「エクリクシスを封印して、その後はどうするつもりだ?」
まさか、壊すことはないだろう、と思っていたら、その通りの返答があった。
「そうですね。トラッドノアの宝物庫にしまっておくか、それともどこかの神殿にでも安置しようかな」
「そうか」
剣本来の在り方とは異なるが、仕方ないのだろう。
「本当は、エクリクシスを託すに申し分ない使い手が現われれば、いいのにな。この剣だって、魔剣以外の物になる可能性があるのだから」
それは、ウェインの本心だった。
エクリクシスの性質を知ってしまった今、先程までのように、単純に嫌悪できなくなっていた。むしろ、レイナートと同じく、哀れみすら覚える。この剣は、無限の可能性を秘めていたのに。
「? どうかしたのか?」
レイナートの反応がないので、そちらに視線を向けると、なぜか驚いている。
「そうですね。そういう方が現われれば、一番ですね」
我に返ったレイナートが、屈託無く笑っていた。






ウェインは各国の書状に目に通していて、ある一枚で手を止めた。差出人はトラッドノア王家である。
ウェインとティリスの結婚への祝辞と、出席する旨が書かれていた書状の最後に、それまでの格式張った文面とは異なり、最後に砕けた調子で書かれた文章があった。行間も狭く、元々書くつもりはなかったが、書状を出す直前に考えが変わって付け加えたようである。
追伸、という文字から、その内容は始まっていた。

――ご報告したいことがあります。ウェインさんもご存じの、かの名剣ですが、トラッドノアで封を施した後、王城の奥深くに安置していました。
とろこが、先日、元の持ち主がふらりとトラッドノア城下に現われ、偶然、ボクとその名剣の処遇について話す機会に恵まれました。その話の中身は省略しますが、結論として、これから先、その名剣が、人に禍を成すようであれば、再び封印をし、トラッドノアが管理することを約束の上、元の持ち主にその剣を返却することにしました。
この判断の結果が出るのは、もしかしたら、ボクが生きている間は無理かもしれません。ですが、ボクも、剣と、その人の可能性、ひいては、『人』の可能性をまだ信じています。
――女神アステアが、ボクたち『人』を信じ、この大陸を託していったように。

文面は、そう締めくくられていた。
モクジ

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