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魔は解き放たれる

 それはまるで、穏やかに吹き抜ける春風のように、グレイスの周囲を駆け抜けていった。

―― 懐かしい。

 グレイスの胸中に浮かんだのは、間違いなく旅愁に似た懐かしさだった。そして、すぐに別の感情も浮かぶ。
 急がなくては。邪魔をされる。同じことを繰り返してはならない。
 それは焦燥に近い感情だった。
「―― グレイス」
 ぬう、と暗闇から白面の老人が浮かび上がり、グレイスは唇の端を持ち上げる。
「ギデオン、感じ取ったわね?」
 ギデオンが静かに頷く。
「懐かしくも憎らしい、あやつの気配だ」
 その言葉に、グレイスはく、と喉の奥を震わせて笑った。ギデオンの言葉は、自分の胸中と全く同じだったからだ。
「この国で人間共を駒のように動かすのも楽しかったけどねぇ」
 軍を動かし戦火を広げ、人々の悲鳴と怨嗟をこの世界に蔓延させる。ゴルダークはこちらを良いように使っていた気だったろうが、戦火そのものが広がれば、すでに半分、グレイス達の目的は達成されている。グレイス達を利用し、一気にこの世界を平定しようとする考えそのものが、グレイス達にとっては好都合だった。
「時間がきたからには、仕方ない」
 口の端をつり上げて、グレイスは笑った。
 『彼』が力を取り戻しつつあるということは、主と仰ぐ神もまた力を取り戻しつつあるということだった。彼らは、元は同じ存在のため、互いに影響しあっているのだ。
「邪魔をされる前に、星竜の力を受け継いだ者共を亡き者に」
「確かに。その方が手っ取り早いわ」
 過去の苦々しい記憶が思い起こされる。かつての戦いで、主から分かれた力の塊は人の形をとってグレイス達の前に立ちはだかった。そして、最期まで『彼』には邪魔され、しまいには、復活までこれほど長い時間をかけさせられることとなった。
「星竜の戦士は、どこに?」
「影の塔から東へ回り、トパーズへ入ろうとしているな。今から向かえば、城につく前に強襲できるだろう」
「そう……なら、今すぐにでも」
 その言葉と共にグレイスの眼が妖しく光り、ばさり、と羽音が石で囲まれた部屋に響いた。
「……待て、グレイス」
「どうしたの?」
「あの愚かな魂と肉体を、せっかくだから役立てようと思ってな」
「ああ、アレ。ゴルダークが立ちふさがるようなら、けしかけてみれば面白いかもしれないわね」
 この城で怨嗟と後悔を滲ませながら、いまだ彷徨う愚かな魂。王でありながら王に足る器を持つことが ―― または、自ら創り上げることができなかった男。それとも、自分とは違う器を持っていた弟を羨んで自滅したのか。どちらにしろ、愚かであることは間違いなかった。
 その枯れ枝のような手を伸ばしたギデオンが、彷徨う愚かな魂をその手中に収めた様子を、グレイスは静かに見ていた。そしてその顔に楽しいことでも思いついたように、にやりと笑みを浮かべる。
「ギデオンがこの国から持ち出すというのなら、私は残していくわ」
 そして高らかに右手を挙げる。
「さあ、私の可愛いゴーレム。この国に ―― 破壊と死を」


 一瞬にして起きた城壁の崩壊に巻き込まれた兵士達は、何が起ったか分らなかった。混乱の中、大きな羽を広げた『何か』が北東へと向かって飛んでいった様子を見た者が、数人いただけである。ましてそれが、世界を巻き込みながら広がっていった戦火をもたらした存在であると、誰が気づけただろうか。
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